契約書に関する連載企画の途中ではありますが、気になる事件が発生しましたので、緊急で投稿させていただきます(※本投稿は2025年10月22日現在報道されている事実関係をもとにしています。)。
一部報道において、ある退職代行業者が退職代行の仕事を弁護士に斡旋し、弁護士から紹介料を受け取ったなどとして、警察が退職代行業者と法律事務所を弁護士法違反の疑いで捜査を開始したことが明らかになりました。そこで、退職代行をテーマに、問題点を深掘りしていきます。
退職代行とは、従業員本人に代わって会社等の勤務先に退職の意思を伝えたり、書類のやりとりをしたりする業者です。
一般に、雇用主との間で期間の定めのない雇用契約をした従業員(よく「正社員」と呼ばれますので、以下でも「正社員」といいます。)は、いつでも解約(退職)の申入れをすることができ、この申入れの日から2週間経過後に雇用契約は終了します(民法627条1項)。この退職の意思表示は一方的にすることができ、雇用主の承諾は必要ありません。したがって、従業員は退職しようと思えば自己の意思のみによって退職することができます(注:期間の定めのある雇用契約の場合はこの限りではなく、期間途中に一方的に労働への従事をやめると契約違反となる恐れがあります。また、「退職することができる」ということと、十分な引継ぎをしなかったり、礼儀を欠いたことなどが非難の対象になるかどうかは一応別ですので、円満な退職ができるに越したことはありません。)。
他方で、いわゆるブラック企業でパワハラ気質の上司に対して退職の話をしにくかったり、そうでなくても「後任者を見つけてきて」とか「次の人が入るまで」など退職に理解を示してくれなかったりなどで、従業員がなかなか退職できず困ってしまう、という場面が少なからずあるようです。このような場面で、従業員の代わりに勤務先に連絡をして退職の意思表示をすることを代行するのが、退職代行業者です。
この退職代行は年々利用者が増え、マイナビ社の調査では、2023年6月からの1年間で転職をした人800名のうち16.6%が「退職代行を利用した」と回答し、企業の23.3%が「退職代行を利用した人がいた」と回答したということです(実際のレポートはこちら)。
ところで、退職代行業者が産声を上げた頃、弁護士の界隈では「退職代行は弁護士法違反ではないか?」ということが議論になったことがありました。というのも、弁護士法は弁護士以外が報酬を得る目的で「法律事務」を扱うことを、刑事罰をもって禁止しているからです(弁護士法72条)。ここでいう「法律事務」の内容については解釈上争いがありますが、少なくとも法律上の権利義務関係についての紛争の処理がこれに当たることは間違いありません。
法律事務は個人や企業の法律上の権利義務に関わる高度に専門的な業務であるため、知識経験が不十分な者や「事件屋」のような者が跳梁跋扈することで国民の権利利益が害されないようにするため、国が認定した資格を有する者(弁護士や簡裁代理権認定司法書士。以下「弁護士等」といいます。)以外にはこれを取り扱わせないこととしています。法律事務を弁護士等以外の者が取り扱う行為を、「非弁行為」と呼んでいます。
そして、例えば「了解なく勝手に会社を辞めれば損害賠償請求をする」という立場の雇用主のように、一方的に「辞めます」では終わらない事案では、多かれ少なかれ雇用主との「会話」が発生します。そうすると、辞める辞めない、損害賠償請求をするしない、などといった交渉に発展する可能性が十分にあります。このため、依頼者から報酬を得て行う退職代行は弁護士法が規制する「法律事務」に該当し、弁護士以外の者が行ってはならないのではないか、という考え方です。
【参考】弁護士法
(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第七十二条
弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
これに対し、退職代行業者側は、おおよそ「退職代行は本人の使者として雇用主の退職の意思を伝えるだけであり、雇用主との間で交渉はしない」とし、交渉ではなく本人のメッセンジャーとして意思を伝えるだけならば非弁行為には当たらない、という立場を採っています。
退職代行が非弁行為として禁止の対象になるかどうかの確定的な裁判所の判断は、直接的にこの点が論点になる事案が発生したことがないため、現在のところありません。確かに、「ただ退職の電話をするだけ」ならば非弁行為には該当しないかもしれませんが、他方で従業員が退職するときに一方的に「辞めます」と言うだけで終わるのかは疑問です。例えば何月何日付で辞めるのか、業務の引継ぎはどうするのか、退職に伴う退職金などのお金の処理、社会保険や年金の手続、私物の引取り、貸与品(業務用パソコンや携帯電話、制服等)の返還、貸付金の返還など、調整しなければならないことは結構あります。このようなToDoを潰していくだけでも、雇用主と従業員の間では相当の遣り取りをしなければならないでしょう。その中には双方の言い分がぶつかり合うこともあるかもしれません。それが本格的に衝突すると「交渉」となって法律事務に該当し、弁護士等でなければすることができなくなります。
このように、退職にまつわる雇用主と従業員との遣り取りは、「単なる退職の意思表示」と「法的紛争」の間でグラデーションにならざるを得ません。「ここからは非弁行為だけどここまでは非弁行為にならない」という明確な線引きは難しく、そういった意味で退職代行が非弁行為に該当するリスクは常にあるといえます。
ちなみに、交通事故が発生したときに、加害者側で実際に交渉の矢面に立つのは保険会社(のサービスセンターの担当者)であることがよくあります。事故当事者ではない保険会社が事故当事者の代わりに交渉に当たる行為は問題ないのか?という疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれませんが、保険会社は保険契約に基づいて保険金を支払う立場なので、その保険金の支払義務の有無という論点の範囲内で交渉をする限り、非弁行為には該当しないと考えられています。
また、法律事務は、弁護士以外の者が取り扱うだけではなく、業として「周旋」(紹介やあっせん)をすることも禁止されています。一般的な企業が、顧客の紹介を受けたときに紹介料等を支払うことはよくありますし、特に非難の対象にもなりませんが、法律事務については「弁護士が弁護士でない者に紹介料を払う」ことが弁護士法72条によって禁止されています。これは、弁護士と弁護士でない者が提携すると、結局無資格者による法律事務が横行してしまうきっかけとなり、依頼者が不利益を被ってしまうためです。これを「非弁提携」と呼んでいます。
今回の事案で警察が捜査に着手した直接的な被疑事実は「弁護士ではない退職代行業者が弁護士に業務をあっせんし、弁護士より依頼者の紹介料を受け取っていた」というものであると報じられています。つまり「非弁提携」が疑われているわけです。
それだけではなく、退職代行業者が法的紛争に関する交渉に当たっていた疑いもあると報じているメディアもあります。事実関係は未だ明らかではありませんが、もしこれが事実であれば、弁護士から紹介料を受け取っていたかどうかにかかわらず、この退職代行業者はそもそも単独で非弁行為に及んでいたことになります。
この摘発は、退職代行というビジネスモデルの重要な転換点になる可能性があります。
当然ながら、非弁提携のみならず非弁提携を疑われる行為すらしてはならないという弁護士倫理の基本の「き」を遵守していなかったことになりますから、この事案では退職代行業者だけではなく、弁護士側にも大きな問題があります。そういった意味で、我々弁護士も襟を正さなければならない事案でもあることは間違いありません。引き続き、この事件のことについては注視していこうと思います。
最後に、退職代行業者から突然退職の連絡が入ると、本人から退職届が出たときと比べて強く当惑される方も少なくないと思います。もし対応に迷われたら、弁護士にご相談ください。








